芭蕉の旅「奥の細道」No6・雲巌寺より殺生石・遊行柳

雲巌寺より殺生石・遊行柳

下野の国の雲巌寺の奥に仏頂和尚が山中に住んでいたという跡があると訪ねています。

仏頂和尚と芭蕉は江戸の深川で出会っていて、その後、和尚は晩年を雲巖寺で山庵を営み七十四才で逝去しています。

そんな、山中の山庵の跡を訪ねて行こうとすると、みちすがらに人々が一緒になって若者まで賑やかに騒いで付いてきて気が付けば、雲岩寺の麓まで辿り着いていました。

鬱蒼とした山に谷道は遥かにつづき、松や杉はあたりを暗くして、苔からは水が滴り、卯月だというのに寒いくらいです。

そして、十景が尽きるところの最後の橋を渡り、山門に入ります。

そうしてあの山庵の跡を探し、後ろの山をよじ登ると、石の上に小さな庵があり、そのすがたは岩窟に結び付けて築かれていました。

厳しい巌に妙禅師の「死関」法雲法師の石室を見るようだと、ここで即興で一句詠んでいます。

ここから更に、芭蕉は殺生石へと向かいます。

ここで馬引きにせがまれて一句詠んだとあります。

殺生石は那須温泉の山陰にあり、石の毒気はいまだになくなっておらず、その毒気の有毒ガスに、蜂や蝶までもが地面の砂が見えないくらいに重なって死んでいたとあります。

そこから進み、西行の歌にも「道のべに清水流るゝ柳・・・・」と詠まれている柳が、芦屋の里にあり田の畔に残っています。この地の領主の戸部なにがしが「この柳をお見せしたい」などと、折々に良くおっしゃっていたので、どこにあるものかと思っていたが、とうとう今日この柳の陰に立ち寄ったのだと、ここで一句詠んでいます。