芭蕉の旅「奥の細道」No7・白川の関

白川の関

不安なままに日数ばかりが過ぎて、やっと白川の関にさしかかるころとなり、旅の心もとうとう定まって来ました。

「便りあらばいかに都へ告げやらむ今日白河の関は越えぬと」平兼盛の歌にもあるように「いかで都へ」と便りを頼もうとしたが断られて届かないのです。

この白川の関は日本三関と言われる難所で、奥州の入り口を守る有名な関所です。

他に茨木と福島の境界である勿来(なこそ)の関、山形と新潟との国境である念珠(ねず)が関の二つの関所があり、この三つが日本三関と言われています。

そして、中でもこの白川の関は、詩人や風雅の人が多く関心を持ち歌に詠んでいます。

秋風を耳に残して紅葉を人の面影とするほどに青葉の茂る梢は、猶さらに哀れを感じます。

卯の花の白く美しい姿には、茨の花寄り添って咲き、まるで初雪のなかを越えるような心地がすると芭蕉は書いています。

古人は、冠を正し新たに正装して越えたものだと歌人で歌学者藤原清輔が『袋草子』に書きとめていると、そこで一句曾良が詠んでいます。

※白川の関の古人の歌をここに記しておきましょう。

「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関・・・能因法師」

「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関・・・源頼政(みなもとのよりまさ)」

「白河の関屋を月のもる影は人の心をとむるなりけり・・・西行」

室の八島で読んだと言われている奥羽の歌人、藤原実方(ふじわらのさねかた)の歌もあげておきます。

「いかでかは思ひありとも知らすべき室の八島の煙ならでは」

実方は王朝歌人で清少納言とも浮名を流したと言われています。陸奥守に左遷されその地で死んでいます。