芭蕉の旅「奥の細道」No8・須賀川

須賀川

兎に角、こうして芭蕉一行は白川の関を越えて阿武隈川を渡りました。

左に会津磐梯山を高く見て、右に岩城。相馬、三春の荘園を眺めて、常陸(ひたち)、下野(しもつけ)の地を境として山がつらなっています。

須賀川の宿駅の町に等躬(とうきゅう)という俳人を訪ねて四、五日滞在しています。

そこで、「白川の関を越えるに、どのような句を詠みましたか」と、等躬に尋ねられ、「長いみちすがらの苦しみに身も心も疲れ果て、しかも、風景には驚かされて白川での詩人達の感慨が身に沁み腸までもがちぎれる思いがしました」と答えています。

そして、ここに一句を書き残しています。

疑いもせずに一句で答えたさすがの芭蕉の句に、その後に連句の第二句脇句を付け、その後は第三句と続け歌仙三巻となったものだと「奥の細道」にも記されています。

この宿のかたわらに大きな栗の木があり、木蔭に世を捨てた僧侶が住んでいました。

その木の実を拾い奥まった大木のような山にも、このように静かに暮らすものだと、懐紙に書き記していたようです。

その詞を見ると「栗という文字、は西の木と書く。西方の極楽浄土からの便りであると、行基菩薩の一生の杖にも、家の柱にも、この木を使われているという」と書いてあり、そこで芭蕉は感動して、一句詠んでいます。

 

※この詞とは『法然上人行状絵図』に書かれていたものであるとの注釈資料あり。