芭蕉の旅「奥の細道」No10・佐藤庄司が旧跡から飯塚温泉へ

佐藤庄司が旧跡から飯塚温泉へ

阿武隈川の月輪の渡しを越えて瀬の上という宿場へ出ます。

ここには佐藤庄司のお城があった跡があると言われています。

左へ山際を一里半ばかり行くと、飯塚の里で鯖野といわれているあたりだと聞いて、尋ねながら行きます。

すると、丸山という飯塚町西方の館山にある城が、庄司の城跡だと聞きました。

麓に大手門の跡があり、人から教えてもらうがままに、その謂れに涙を落とし、又、傍らの菩提寺に一家の古い石碑が残されていました。

そして、まずはこの二人の嫁の墓をお参りして哀れに思うのでした。

ここでの佐藤庄司とは、源義経の家計であった庄司の子、佐藤忠信、継信の兄弟が義経に従い、忠義な働きをして、悲壮な戦死をとげたのです。

この戦死の知らせを受けた兄弟の嫁は、兄弟が戦いに勝って故郷に帰ってきたと鎧、兜を身につけて、その姿を母に見せ、悲しむ母を慰めたというのです。

この謂れのある古寺に入りお茶を頂くと、ここにあの言い伝えの義経の太刀と弁慶の笈がしまってあるというのです。

何ともちょうど5月の節句も近い5月1日なので、この二つの由緒ある秘蔵の宝物に、ここで芭蕉は一句詠んでいます。

そして、その夜は飯塚温泉で宿をとります。

この宿がひどく、土間に筵を敷いて囲炉裏端でゴロ寝をしたのでした。しかも雨が降り出して雨漏りはするは蚤や蚊はいるやで、眠れない夜を過ごしたのでした。おまけに芭蕉は持病の疝気まで起こして大変だったのです。

やっと短夜が明けて、また旅を続けてゆきます。

なかなか気力が出せずに馬を借りて桑折の宿駅にでます。まだこの先のはるかに長い旅を思い、病気が良くはないのだけれども、捨身無常の観念であると、「道路に死なんこれ天の命なり」と、決死の気力で旅をつづけるのです。

そうして、伊達の大木戸を越すのでした。