芭蕉の旅「奥の細道」No17・平泉

平泉

三代の栄華も一夜の眠りの中にして、南大門のその跡も今では一里ほど手前にあります。

秀衡の伽藍御所の跡は田や野になってしまい金鶏山だけがその形を残しています。

先ずは、高館(たかだち)に登れば、北上川は盛岡の方から流れて大河となっています。衣川は和泉が城をめぐり、高館の下あたりで大河に流れ落ちて合流しています。

泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて、南部の関門をさし堅め、夷をふせぐものと見えました。

そして、義経の忠臣である弁慶や兼房らが、この城にこもり手柄を上げたことも一時の功名であり、今では草むらとなっていました。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠を打つひしがれて、時を忘れるほど涙を落したということです。

ここで、芭蕉はこの感慨を一句に詠んでいます。

そして、曾良もここでは一句詠んでいます。

しかも、聴いて驚いたことに、中尊寺の光堂と経堂の二堂が開帳されています。

七宝は散りじりになくなり、宝石の扉は風に破れ、金の柱は霜や雪に朽ち果てて、すでに退廃して空虚な淋しい草むらであるものを、

四面を新たに囲んで屋根を覆い、雨風をしのぎ、永久の時の流れの中で、何とか凡そ千年ほどのかたみとはなるでありましょう。

とここで、一句芭蕉は読んでいます。

 

※「」内は中国の詩人である杜甫の詩より