芭蕉の旅「奥の細道」No22・越後路から一振、那古の浦へ

越後路から一振、那古の浦へ

酒田から何日か波の寄せ来る道を進み、北陸道を雲上へと望み行きます。やっとの思いで胸を傷つけられながら、加賀の府金沢まで百三十里。ねずの関を越えれば、越後の地に改めて足を踏み入れ、越中の国一振りの関に至ります。この間、9日かかり暑さと雨に降られた苦労に神の運命までも悩まして、持病がおきてしまったので、ことを記すことが出来ません。しかし、そこで芭蕉は二句を残しています。

それでも今日は、親知らず、子知らず、犬もどり、駒返しなどと言う北国一の難所を越えて疲れてしまい枕を引き寄せるように眠りましたが、ひと間隔てておもての方に、二人ばかりの若き女の声が聞こえます。年老いた男の声も混じり何やら話ているような様子なので聞いてみれば、越後の国の象潟という所の遊女であるよう。伊勢参宮の折にこの関まで男が送って来て、明日は故郷へ返すための文をしたため儚い伝言などをしているようです。

白波が寄せる汀に身を慰みに合わせ、天下の世をあさましくも下って来て、定めのない契りに、このように遊女となってしまった。まったく先の世の因果な業によるものと、この世の運の悪さを物語っていたましたが、それを聞きながら、芭蕉はうとうとと寝入ってしまい、朝には旅立つ芭蕉一行に「行方も知らない旅路の苦しいことを思うと、あまりに不安であやふやで悲しいのですが、見え隠れしながらあなた様の後を恋しく付いてゆきたく思います。僧侶としての御情に大きな仏の御心の恵みで、仏の道に入る機会の縁を下さいませ」と涙を落としながら言うのでした。

とても困ったことであったが、「我々の旅は行く先所々なかなか進まないことも多いものです。只人に行方を尋ねながらまかせて行くようなものです。そのお心に神様仏様の御加護がありますよう。きっと恙なく過ごせることでありましょう。」と、とっさに言ってあげましたが、出て行こうとしながら、しばらくの間は哀れでしかたがなかったようです。

そこで、芭蕉は一句詠んでいます。曽良にこの句を語り、曾良がそこに書きとどめるのでした。

その後、とくろべ四十八が瀬とか言う数知れぬ程の沢山の川を渡って、那古と言う浦に出ました。

担籠の藤浪という所は、春でもまるで初夏のような哀を感じるのだと聞き、そこを人に尋ねれば「そこへは是より五里、磯を伝ってゆくと対岸に入り、海女の苫屋もさほどないので一夜の宿をかすものも無いでしょう」と脅すように言われて、加賀の国へと入ります。

そして、ここで一句芭蕉が詠んでいます。