芭蕉の詠んだ「紫陽草」

もう六月です。この時期はやはり紫陽花が美しいですね。
紫陽花は日本が原産のようです。特に「額紫陽花」が日本古来からの紫陽花のもととなると言われています。
そこで、芭蕉は紫陽花を詠んでいるのかと思いました。
紫陽花の句は「紫陽草」として2句ありました。

紫陽草や藪を小庭の別座敷

この句は元禄七年芭蕉51才の時に詠まれた句です。この頃は人生五十年と言われていた江戸時代にはかなり芭蕉も体が弱っていたころでしょう。最後の旅の送別に催された歌仙の句会の席の句とされています。このあとの秋には病中吟として有名な「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」を詠んでいます。

そして、もう1句。

紫陽草や帷子時の薄浅黄

この句は、いつ頃の句なのか不明のようです。年号不知の句とされています。

この二句は今の「紫陽花」と書くあじさいではなく「紫陽草」と書かれていますね。

「あぢさゐ」と平仮名では書かれていたようですが、今のような珠紫陽花ではなくて雪の下のような儚げな四葩だったのでしょうか。色は青から紫色に変化していたのだと解釈できます。

それにしてもこの2句、何故「紫陽草」と表記されているのでしょうか。

現代では、通常「紫陽花」と書きます。なのに、この2句は花ではなく草と書いています。これは芭蕉の書き間違いでしょうか。

そこで、少し調べてみました。

この紫陽花は、昔ながらのユキノシタ科の今の原種といわれている日本特有の額の花ではないかと思いました。万葉集のころからすでに紫陽花はあぢさゐとしては多く詠まれています。

ですから、江戸時代にはこの昔ながらの「額の花」をあぢさゐとして詠んだのではないでしょうか。

そうして、花が草とあるのは、額の花であれば、別名「額草」とも称されているのです。これは「額の花」の別名として三省堂大辞林に確かにあります。

そこから、芭蕉は額を紫陽として花を草としたのではないでしょうか。こう書けば、がくそう=あぢさゐとなります。そして、漢字をあてたのでしょう。

こうしてみると、足元の雨を弾くような儚く移ろい咲く姿が、「草」という字にすることで思い浮かびます。