芭蕉の詠んだ五月の一句

芭蕉が「奥の細道」五月を詠んだ句が3句あります。

その中でも一番有名な句が

「五月雨をあつめて早し最上川・・・芭蕉」

この句ではないでしょうか。
最上川の川下りを詠んだ句ですが、この句の原句は
「五月雨をあつめて涼し最上川」だったと言われます。
芭蕉は川下りの船着き場で、まずは原句と言われる句を詠んでいます。
そして、実際に舟に乗り、川を下りその臨場感を
「五月雨をあつめて早し最上川」と推敲したと言われます。
涼しい川の流れを詠んだ原句が
実際に川を下り厳しい渓流のようなその流れの早さを経験して
早しとしています。

五月の雨に水嵩が増していて、川の水を沢山の支流や山肌から集めて流れているその光景は涼し気なだけでは言い表せない動きのあるスリル満点の川下りだったようですね。

他に、「笈も太刀もかざして見せよ帋幟」「笠島はいづこさ月のぬかり道」
の句が奥の細道で詠まれています。

 

芭蕉の旅「奥の細道」No17・平泉

平泉

三代の栄華も一夜の眠りの中にして、南大門のその跡も今では一里ほど手前にあります。

秀衡の伽藍御所の跡は田や野になってしまい金鶏山だけがその形を残しています。

先ずは、高館(たかだち)に登れば、北上川は盛岡の方から流れて大河となっています。衣川は和泉が城をめぐり、高館の下あたりで大河に流れ落ちて合流しています。

泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて、南部の関門をさし堅め、夷をふせぐものと見えました。

そして、義経の忠臣である弁慶や兼房らが、この城にこもり手柄を上げたことも一時の功名であり、今では草むらとなっていました。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠を打つひしがれて、時を忘れるほど涙を落したということです。

ここで、芭蕉はこの感慨を一句に詠んでいます。

そして、曾良もここでは一句詠んでいます。

しかも、聴いて驚いたことに、中尊寺の光堂と経堂の二堂が開帳されています。

七宝は散りじりになくなり、宝石の扉は風に破れ、金の柱は霜や雪に朽ち果てて、すでに退廃して空虚な淋しい草むらであるものを、

四面を新たに囲んで屋根を覆い、雨風をしのぎ、永久の時の流れの中で、何とか凡そ千年ほどのかたみとはなるでありましょう。

とここで、一句芭蕉は読んでいます。

 

※「」内は中国の詩人である杜甫の詩より